1690年に入るとストラディヴァリに大きな転機が訪れます。
クレモナの北東約50kmに位置するブレシアで活動したガスパロ・ダ・サロ(Gasparo da Salo)やパオロ・マッジーニ(Paolo Maggini)をはじめとする職人たちが製作した、豊かな音量と深い音質に秀でる楽器が当時の演奏家たちの間で流行していた中、それまでのアマティスタイルでは見出せなかった、より大きな音量を実現しようと、独自のパターンを用いた製作を行います。
ボディの長さを伸ばしアーチをフラットにした設計は、一般的に「ロングパターン」と呼ばれ、全長を長くした分、全体の容積のバランスを取るために横幅がせまくなっているのが特徴です。 すらりとしたアウトラインは女性的であるともいわれ、 非常にエレガントな風貌です。
*ロングパターン期の優れた作品は、音色が柔らかめであると言われていますが、中には黄金期に勝るとも劣らない素晴らしい個体も存在します。
写真:"The Supposed Poartrait of Stradivari", STRADIVARI.W.E.HILL&SONS.1902.page284より一部引用
1694年製バイオリン “Benecke”
BL(ボディ長) :363mm
ラベル:'Antonius Stradiuarius, Cremonensis, Faciebat Anno 1697
ロングパターン期の作品で非常に保存状態が良い1本が、この"Benecke"。1862年にロンドンの裕福な銀行家であったアーネスト・ベネケ氏(Ernest BENECKE)が所有していたことから、この名が冠されています。ベネケ氏はヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph JOACHIM)ら音楽家とも交流があり、弟はメンデルスゾーンの娘と結婚するなど、音楽業界とも親しい仲にあったようです。
写真:"top and front of Benecke", Stradivarius.CHARLES BEARE.2013.page75/77より一部引用
1700年代以降は、「ロングパターン」で学んだ音量と音色のバランスを再度研究し、
縦の長さと横の長さ、そしてアーチの高さが絶妙な比率で調和した傑作を作り出します。この時期を「黄金期」と呼び、単なるアマティの追随者としてではなく、ストラディヴァリ自身として高く評価されるようになり、多くの注文を獲得していきます。当時の作品は今なお世界最高のバイオリンとして不動の地位を占めています。
また、この時期に作られた楽器が最高の評価を受けるようになったのは、1800年代以降の音楽様式の変化と、楽器そのものの経年数による音色の変化が大きく起因していると言えます。
貴族文化から庶民文化への革命とともに、音楽はより感情的で、より大きなダイナミクスを必要とするようになりました。それに伴い、バイオリンは独奏楽器としての地位を確立しました。まずはオーケストラに負けない大きな音量を、そして美しく甘い音色をもった楽器が必要とされ、ストラディバリの需要はさらに高まりました。
もともと十分な音量を備えているこの時期のパターンに加えて、年数の経過に伴う木材そのものの結晶化がすすみ、俗に言うシルバー・トーンと呼ばれる最高の音色を得たストラディヴァリのバイオリンは時世を経て世界の遺産となったのです。
この黄金期の代表的な楽器は以下の通りです。標準的な大きさの型枠に加え、
やや大きめの型枠と、アマティ時代を回顧したと思われるようなやや小ぶりな型枠とを使い分け、
クライアントの好みに合わせて楽器製作をおこなっていたと考えられています。
1703年製バイオリン 'Emiliani'
BL(ボディ長):355mm
標準パターンを採用した黄金期の作品。イタリア・ボローニャのバイオリニストであるチェザーレ・エミリアーニ(Cesare Emiliani, 1805-87)が所有していたことからこの号名で呼ばれています。
現在はアンネ=ゾフィ・ムター(Anne-Sophie Mutter, 1963-)が愛用していることで有名です。
写真:"top and front of Emiliani", Antonio STRADIVARI, The Cremona Exhibition of 1987.CHARLES BEARE.1993.page143より一部引用
1707年製バイオリン “La Cathédrale”
BL(ボディ長):353.3mm
小型パターンと豊かなアーチングを採用し、裏板に木目の細かい上質な楓を用いた作品。 ナポレオン軍の兵士がイタリアから持ち帰ったと言われている名器で、素晴らしい響きを称し、"Cathédrale(大聖堂)"と命名されました。
イギリスの人気バイオリニストであるナイジェル・ケネディ(Naigel Kennedy, 1956-)も愛用していた時期があります。
写真:"top and front of La Cathedrale", Antonio STRADIVARI, The Cremona Exhibition of 1987.CHARLES BEARE.1993.page149より一部引用
1711年製バイオリン “Parke”
BL(ボディ長):358mm
大型パターンを採用したこの時期のストラディヴァリウスは特に評価が高く、 ハイフェッツやパールマン、メニューインなど名演奏家たちがこよなく愛した名器が数多く存在します。
貴族の出であったジョン・パーク(John Parke)が当時ストラディバリから直接購入した歴史から、この号名が付けられています。かの有名な大バイオリニスト、レオポルド・アウアー(Leopold Auer)も短い間でしたが愛奏していたそうです。
写真:"top and front of Parke", Antonio STRADIVARI, The Cremona Exhibition of 1987.CHARLES BEARE.1993.page167より一部引用
次回はストラディバリの円熟期と彼の死後の評価について、代表的な作品と後世に与えた影響を追っていきます。
(つづく)