N.F.ヴィヨーム氏はその頃イタリア製と思える古いチェロを持っていた。
そのチェロには金言や紋章などがあちこちに描かれていた。これらの模様は、フランスの
シャルル9世の礼拝堂から抜粋されたもので、ヴィヨーム氏自身は、このチェロが
アマティ派の誰かの手で、特注で作られたものだと考えていたようであった。
彼がこのチェロを入手した時は破損がひどかったらしいが、辛抱強く破片を探し出すなどして復元をした。楽器の破損部は何百にものぼるのだが、あまりにも見事に復元されたので、一見しただけではプロの人間にさえも健康状態が良いものに見えるほどだった。これはまさに愛情の労作とでも言おうか。
彼はこのチェロは本来「ロンドン塔」にこそ保存されるべきだと信じていたふしがある。それを聞いた彼の兄たちはただ笑っていたものだ。
当時
ヴィヨーム氏は部屋数の多い大きな屋敷に居を構えていて、彼の妹に家事一切を任せていた。2階は間貸ししていて、その頃に住んでいたのは、チェロを弾く愉快な紳士であった。
この人の演奏はずばぬけて素晴らしかったので、私は常々プロの芸術家ではないかと思っていた。ある時、ヴィヨーム氏に聞いてみると、「単なるアマチュアだけど、知り合いになりたいのなら紹介してあげようか。」と言う。「近づきになれれば嬉しいですな。」
しばらくして帰る段になり、ジャンセン氏は階下まで我々を送ってきた。その時ジャンセン氏に先ほどの話を聞いたヴィヨーム氏は、「あのチェロは
イギリス製ではなく、
イタリア製としか考えられない。」と言った。しかし、そう言うヴィヨーム氏自身、表板の円形飾りを見落としていたのである。
2~3ヶ月経ってからヴィヨーム氏の所を訪ねると、おかしい程の敬意を表して私を招き入れるではないか。そしてすぐジャンセン氏を呼んできたのだが、彼もまた、どういうわけか私に大変な尊敬の意を示したのである。