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〜イタリアンの音〜


義父の仕事の都合で、私は田舎町へ引っ越してきたのだが、生活が落ち着いてくると、ヴァイオリンのレッスンを受けたいと母にせがんだ。母は渋ったが、これも義父が味方をしてくれたため実現することになった。
当時、ヴァイオリンの教授といっても、社会的名声や地位は全くなかった。母は私がレッスンに出かけるたびに「裏道を通って行きなさい」とうるさく言った。そのくらいだから、例の緑色の袋に入れたヴァイオリンは、上着の下に隠し持って出かけなければならないほどだった。

そんな状況下で始めたレッスンだったが、先生は読譜やスケールをみっちり教えてくれた。私が技術的に進歩することに興味を持ってくれて、レッスンが2時間も続くことはしょっちゅうだった。当時、1時間で4ペンスのレッスン料だったが、時間がオーバーした分はいつも無料であった。

2度目に移転したのはグラスゴーだったが、私の道楽はここで始まったのである。

有名なヴァイオリニストが市の公会堂へ来て演奏すると聞けば、何をおいても友人と2人で出かけた。最初に聞いたのは、ヴュータンであった。彼の背は低かったが、胸幅の広い強じんな体格をしていた。太く短い指が印象的で、ポンと弦の上に落とす指の音が、かなり離れた聴衆にも聞き取れるほどだった。何よりも私の胸を打ったのは、ヴュータンの弾くヴァイオリンの音色だった。彼は、ジョゼフ・グァルネリ・デルジェスを使っていたが、それは今まで私が聞いたことのある音色とは全く違い、ただ同じ「ヴァイオリン」であるという他は、何の共通点も見出せなかった。

今から思うとはずかしいのだが、時間さえかければ、すばらしい音のヴァイオリンが見つかるだろうと思って、デルジェスの音を持ったヴァイオリンを探し出す決意をしたのである。

当時の私は楽器に関しては全くズブの素人で、楽器についている製作者の名前にしても、「ラベルがついていると楽器が高い値で評価される」などと考えるほどに知識は皆無だった。にもかかわらず、ではなく、だからこそ、何とかしてあの音色をもつヴァイオリンを手にしたいと決心することが出来たのだろう。

それ以来、どんな面倒もいとわずにヴァイオリンを探し求めた。私の道楽はすべての友人たちにも知れ渡っていた。やがて私の師の耳に入り、彼は自分の手の届く限り最高のヴァイオリンをプレゼントしようとしてくれた。彼はグラスゴー近郊の楽器修理製作家ジョン・イーディ師に頼みに行ったが、すぐには在庫が無かった。

ある晩、イーディ氏は市内の一紳士のお宅へ私を案内した。その紳士というのが、相当な規模の楽器・絵画のコレクターであった。この人こそかの有名なジョン・キング・クラーク氏であったのだ。クラーク氏とは知己がやがては友情となり、終生続いた。この頃彼はスコットランドでトップクラスのヴァイオリン鑑定家と認められていたが、コレクションの量から見てもそれは充分評価に値すると思われた。

イーディ氏は私の事情を詳しく説明して、楽器を探し出すしばらくの間、ヴァイオリンを1丁貸してやれないものかと相談をもちかけた。彼はいとも簡単に承諾して、大きな部屋に我々を案内した。そこにはソファやテーブル、椅子の上まで一面にヴァイオリンが置いてあった。しかもこの部屋だけでは収めきれないらしく、彼は隣室へ行っては、ヴァイオリンを持って戻ってきた。1本1本の名前と、音の違いを説明してくれるのだが、あまりにも楽器の数が多くて、私の頭はすっかり混乱してしまった。


ソファに座り込んで、イーディ氏にたずねた。

クレモナの名器はいったいどれですか」「1本もないよ」

後で分かったことだが、イーディ氏はクレモナの楽器というものを見たことがなかったらしい。そうこうしている間に、私の目は今まで気付かなかったヴァイオリンに釘付けになってしまった。そのヴァイオリンは、部屋の片隅に背を向けて立てかけられていた。

第3話〜ストラディヴァリとの出会い〜へつづく