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写真:”D.ローリーの生まれ故郷スコットランド「キンロス」の景色by trekearth.com

ミッシング・リンク


約束どおり楽器を売り払うか、それとも、持ち主が現れたときのために、しばらく手元においておくか……。友人は、差し追ってお金を必要としているわけではないので、それ以来、その楽器を自分の部屋に保管しているという。ある日、私は問題の楽器を見せてもらった。

写真:『Violin Iconography of Antonio Stradivari/ Herbert. k. Goodkind著』より p.700-701 1737年 Stradivarius "Swan" (スワン)

いやはや驚いた。これぞ、ミッシング・リンク‼ストラディヴァリウスは93歳まで生きていただけではない。その最晩年に、少なくとも1台のヴァイオリンを作っていたのだ。ラベルの筆跡は、1736年の4台のヴァイオリンのラベルの筆跡と同じで、D.A.92のかわりにD.A.93と書かれていた。しかし、この楽器は1736年製のものとは全く違っていた。

寸法は、彼が黄金時代にはほとんど作らなかった特大サイズ。表板には端から端まで、幅の広い木目が走っていた。使われていたのは、いわゆるシルバー・パインであった。

つまり、当時入手しうる最高の材料でできており、ストラディヴァリウスはそれを慎重に選んで、特別なヴァイオリン用にとっておいたのだ。特別なヴァイオリン……それは、とりもなおさず、彼の長い製作活動の最後を飾る作品だ。

これが晩年の作であることは、その細工からわかった。f字孔のカットは大きめで、鋭さに欠け、象眼も甘い。それでいて、大ぶりの本体との釣り合いはとれていた。裏板と表板の隆起はあまりなく、横板は黄金時代の標準より低めだった。この控えめな作りは、大型の楽器内で空気の振動をうまく調節して、量的にも質的にも、大きくて豊かな音色をつくり出す効果があった。

晩年の美しい作品


このヴァイオリンは、表板と裏板のニスの状態や音色から、良い演奏で、かなり弾き込まれたもので、それから、大切に扱われてきたことがわかった。傷らしい傷は全くなく、内側も外側も、最低限の手しか加えられていなかった。こうした条件のお陰で、美しい音色が保たれたのだ。ニスは、黄金色の下地の上から、あざやかな茶色で上塗りがしてあり、上手く表現はできないが、外見は古風で美しかった。
写真:”D.ローリーの肖像画とレターヘッド” David Laurie Letter Head by wikimedia commons

さらに、この楽器には、彼の晩年の作品の中でも目立つ特色があった。スクロール部のすばらしい彫刻である。この部分は、1736年製の楽器と同じく、全盛期の作にまちがいない。その細工、彫刻ともに絶品なのだ。このことから、ストラディヴァリウスは将来に備え、折りにふれて、スクロール用にかなりの数の彫刻を作っておき、それを特別なヴァイオリン、ことに晩年のそれにつけたことがわかる。

さて、このヴァイオリンを見てから3年間、私が友人を説得し続けたと言っても、読者の皆さんはまず信じないであろう。しかし、これは事実である。名器にめっぽう弱い私は、パリに行く度に、その楽器を譲ってほしいと、のべつ頼んでいたのである。

結果から言うと、私は粘りに粘ってこの楽器を手に入れた。しかも、友人の希望する値が私には高すぎたので、600ポンドで折り合いをつけてもらったのだ。

夢にまで見た楽器の所有者だったのも束の間。それからしばらくして、私はあるパリジャンに売り、この人は楽器の言われにちなんで、「白鳥の歌」と名付けた。このときの取引そのものは、たいした利益にならなかったが、そのかわり同じ人から、クヮルテット用にストラディヴァリウスを揃えてほしい、という注文を受けることになった。

また、パリに行く度に、私はこの人の別荘に招待された。彼の親切に甘えて、音楽の夕べを楽しませてもらったこともある。彼の率いる楽団は名演奏家ぞろいで、おまけに、その中の4人は、あのクヮルテット用のストラディヴァリウスを弾いていたのであった。(完)