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写真:ベルギーにあるブリュッセル王立音楽院(レジェンス)”Royal Conservatory of Brussels (Régence) - Brussels, Belgium” by wikimedia commons

ビュータンの作品

一般的に天才の作品がその存命中に非常な評価をされることは、極めて稀であったり、或いは全然なかったりということがとても不思議に思われるものだが、ビュータンもまた例外ではなかった。

写真:"ビュータンのコイン" Vieuxtemps by wikimedia commons

彼の作品は、その演奏能力程ではないかもしれないが、偉大な天才ぶりを示すものだった。しかも、それらの作品が演奏され、高く評価されるようになったのは、ほとんどつい最近のことである。彼の作品は、真実、評価に値すると思うし、これから時が経つにつれて、ますます注目を浴びてゆくと私は確信しているが、彼の存命中、その作品が演奏されたのは 極めて少なく、かつ幾人かの第一級の演奏家によってのみ演奏されたのであった。

ビュータンの生涯の物語の終末は、大変悲愴的なものであったと私は思っている。

ビュータンの最期

彼の娘は、才能ある医師に嫁いでいたが、彼らはある時ビュータンを連れてアルジェルに保養の旅に出かけた。この地で出来る限りビュータンに手当をするために出かけて来たのであった。

写真:ビュータン氏が余生を過ごしたアルジェリアにある大ムスタファ(Mustapha Supérieur)療養所 by wikimedia commons

ところが、一緒に暮らし始めて、あまり日数の経たぬうちに、彼の娘が悪性の熱病にかかって死に、さらに一週間後には、夫の医師も相次いで世を去ってしまったのだ。この別離に傷む心を、彼は耐え忍んだ。こうして、彼は娘たちの二人の子供と共にこの世に残され、まだ保養の効果も十分にあらわれぬうちに、貯えもあらかた注ぎ込んでしまって、その後は、何もかもベルギー政府からの年金だけに頼ることになってしまった。娘たちに先立たれてからの彼の生涯は、長くは なかった。その後、彼の消息を尋ねた時には、もう別世界の人となっていた。

さて、一生手に入らないだろうと、私自身疑念と危倶を持っていた“セッソール”ストラドの話に戻ろう。ジャンセン氏所蔵のこの楽器は、買い手として、皆が皆、同じ心で見ていると思っていたが、この危惧はとりたてて不思議ではなかっ た。

第37話~名手「ビュータン」との出会いーその4ー~へつづく