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第16話 〜ヴィヨームの名声・その1〜

私がニコラ.F.ヴィヨーム氏と知り会って少し経った頃、運良く近代最高と名高い製作家で彼の兄、ジャン.バティスト.ヴィヨーム氏を訪ねる事が出来た。
近年、このクラスの製作家が相次いでこの世を去った時期であった。J.B.ヴィヨーム氏は時に66才であったが、なお全盛時代そのままの活動力を持っていた。

通常、ストラディヴァリ時代以降の最大の製作者と目されている、この著名なJ.B.ヴィヨームを簡単に描写してみることは、ヴァイオリン愛好家にとって、とても興味をそそられるものであると思う。

写真:"Paris, Place Vendome" .Jean-Baptiste Vuillaume.Stefan-Peter Greiner.Jost Thone.1998.page8より一部引用




彼は、偉大なストラディヴァリと同様に、中背でやせた体格をしていた。しかし、自分の仕事に取り組む時は、全身が筋肉とも言うべき姿で、全力を注いで努力をする人であった。そして、他の卿作者が手がけた楽器の売買の他、自らも新しい楽器などを作ることにかけても、非常に豊富な経験と実績をもっていた。

彼は貧しい家庭の息子として生まれ、特にこれといった教育も受けられなかったが、生まれつきのすぐれた聡明さで彼自身の成長を大いに助けていた。そして若く美人で聡明な女性と結婚し、さらに自身の人格を陶冶したものだった。また彼女は裕福な生まれだった事で、彼がパリで事業を始める為の資金的な面でも大いに協力したのだった。

彼等の家庭には二人の娘がいて、 一人はパリ音楽院のヴァイオリン科教授、アラール氏に嫁いだ。このアラール氏は、後に音楽院の主任教授となり、退官するまでの長い間、パリ最大のヴァイオリニストと目されていた。もう一人の娘は、ロスチャイルド銀行に勤めるヴーヴ・メタリエ氏と結婚した。

フランスではごくありふれた事なのだが、ヴィヨーム夫妻も娘達に財産を残してやれるようにと一生懸命に働いた。しかし、彼等の残した財産は、彼の製作した楽器でもないし、それよりもはるかに高額な楽器の売買によって得たものでも決してなかった。その財産は、主としてパリの恐慌時代、革命時代に、家屋と宅地を購入しておいた事によるものであった。恐慌後に、この不動産から充分な利益をあげたのであった。彼が最近まで生活し、仕事をしていた所はもちろん、その時代に購人したものである。
第17話~ヴィヨームの名声・その2~へつづく