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連載『我らが至宝』第6回 イギリス王立音楽アカデミー楽器博物館 (中編)

連載記事『我らが至宝』では、ヨーロッパ各地にある魅力ある楽器博物館をめぐり、各ミュージアムが所蔵するお宝のような楽器をご紹介しています。

同記事では、前編に引き続き、イギリス・ロンドンにあるイギリス王立音楽アカデミー楽器博物館のコレクションについて、現地取材で得た情報をもとにお届けします。

今回はいよいよ同ミュージアムの『至宝』である、有名なヴァイオリンが登場します!


 

演奏者に楽器を貸し出すミュージアム


イギリス王立音楽アカデミー楽器博物館の展示ギャラリー内を見回すと、弦楽器と鍵盤楽器のための工房スペースが併設されていることに気がつきます。来館者も外から覗けるガラス張りの空間です。


工房に入れてもらい取材をしていると、チェロケースを抱えた学生がベルを鳴らして入ってきました。
彼は、博物館のコレクションから学生として貸与されている楽器を調整してもらいにきたとのこと。ケースには18世紀フランス製のチェロが収まっていました。


現在は、総数450ほどある博物館所蔵の楽器や弓のうち、およそ200本の楽器と150本の弓が学生や教授などに貸与されているそうです。


楽器の貸与手続きの一部を管理しているのは「貸与コーディーネーター」という役職のスタッフです。

取材を受けてくれたバーバラ・メイヤーさんら弦楽器工房スタッフは、この貸与コーディネーターと連携をとりながら、貸与を受ける学生や教授との契約書づくりや試奏のスケジュールなどを管理します。


実際に、貸与はどのようなプロセスで行われているか聞いてみました。


9月から10月にかけて、新入生は楽器の貸与を申請することができます。申請の後、私たちミュージアムスタッフは弦楽器部門、学生部門、歴史的演奏部門の責任者と面談し、希望者に楽器や弓を割り当てていきます。

トライアル期間ののち、正式に貸与が確定したら、楽器や弓を借りる人はデポジット(保証金)と貸与負担金を支払い、正式な契約を交わす……という流れです。明確で、透明性の高い手続きです。


適切な楽器が見つかれば、アカデミーで学ぶ間はそれを借りつづける権利が学生にはあります。過去には、学士号、修士号、そしてフェローシップを取得する期間、同じ楽器を借りた学生もいましたね。


私たちは、貸与を受ける人にいくつか選択肢を与えられるように心がけています。ですが、必ずしもその人に適した楽器が見つかるとはかぎりません。
試用期間などの短期の貸与、長期の貸与など、それぞれに合った契約の形があります」(メイヤーさん)

特別な『継承楽器』のコレクション

同館の展示ギャラリーには、1本ずつ個別にガラスケースに入れられて特別に展示されている楽器があります。中でも、とりわけ貴重な楽器群は『継承楽器(Heritage instrument)』と呼ばれ、他の楽器とは扱いが異なります。


継承楽器は、他の博物館や展覧会などに展示用として貸し出されるほか、プロの演奏家に演奏用として貸し出されることもあるでそうです。ただ、貸し出し手続きはより複雑で、同館コレクション責任者などが決定に関わります。


有名どころでは、ストラディヴァリの1699年製ヴァイオリン『Kustendyke』はフィリップ・オノレに、1726年製のチェロ「マルキ・ド・コルブロン(ネルソヴァ)」はスティーヴン・イッサーリスによって演奏されています。

学内外と協働するプログラムを用意

ミュージアムの展示ギャラリーには、観光客はもちろん、グループで訪れる学生らしき若い人たちの姿もありました。

アカデミーの学生や研究者、楽器製作者や修理の専門家だけではなく、楽器を博物館で鑑賞する機会がなかった人々など、来館者によって、ミュージアムに求めているものは異なります。ミュージアムスタッフは、来館者たちのニーズにどのように応えているのでしょうか。


「ヴァイオリン製作学校の生徒や製作者の方たちが見学に来る際には、可能なものであれば、展示ケースから楽器を取り出して特定の楽器を工房内でお見せすることもできます。そこでは写真を撮ったり、寸法を測ったりすることも可能です。


事前に予約をいただければ、ミュージアムが一般公開される金曜日やそれ以外の平日に、一般の方でも見学ツアーを催行することができます。


私たちはコレクションの所有楽器を題材にした研究プロジェクトを立ち上げて、アカデミーの学生や、学外の専門家にも参加してもらっています。最近では、パリの音楽博物館とのプロジェクトがありました。コレクションの楽器を使って、小さなコンサートを開くこともありますよ。


近年、ミュージアムを含む学術機関は、さまざまなコミュニティーに近づいていく必要に迫られています。当アカデミーには、そのようなアウトリーチを専門とする学部も存在します。現在、私たちは子ども向けのプログラムや認知症、聴覚障害者の方のためのツアーなども行っています」(メイヤーさん)


大英博物館をはじめ、素晴らしいコレクションで有名なイギリス・ロンドンの博物館や美術館。そのミュージアムの豊かなコレクションが、より幅広い層の来館者にとって気軽に親しめるものにするための試みが始まっているのです。

 

さて、それでは私たちも展示ギャラリーに戻って、同ミュージアムの『至宝』をメイヤーさんに紹介していただきましょう……!


至宝その1

Viotti ex Bruce Stradivari

  • アントニオ・ストラディヴァリ作
  • 通称 ヴィオッティ・exブルース(Viotti ex Bruce)
  • 1709年イタリア・クレモナ製

 
(Photo)Royal Academy of Music



『至宝』1 ヴィオッティ・exブルース


展示室の中央にあるヴァイオリンは、暗めの照明でもひときわ目を引きます。イギリス王立音楽アカデミー最大の宝であるストラディヴァリウス、通称『ヴィオッティ・exブルース』です。

この呼び名は、18世紀後半から活躍した天才ヴァイオリニスト・作曲家
ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ(1755-1824)、そして1928年から楽器を所有したイギリスのブルース一家に由来しています。

「こちらのヴァイオリン『ヴィオッティ・exブルース』は、1780年代にヴィオッティが所有していたものだといわれています。
ヴィオッティは当時、フランス・パリでかのマリー・アントワネット女王の宮廷音楽家として雇われていた神童ヴァイオリニストであり、作曲家でした。

ヴィオッティは、北イタリアのヴェルチェッリ近郊のフォンタネット・ポーという小さな町で生まれました。このヴァイオリンは2024年の春、ヴィオッティ没後200年を祝う展覧会の一環として、短い間ですが展示されたんですよ。

ちなみに、ヴァイオリンのコレクターとして知られ、自身の楽器コレクションを詳細に記した有名な「カルテッジョ」を書いたコツィオ・サラブエ伯爵はヴィオッティと同じ年に生まれ、わずか数キロ離れたポー河畔に住んでいた時期があるようです」




 

「『ヴィオッティ・exブルース』は、素晴らしいコンディションを保っています。1928年からおよそ80年もの間、ずっとブルース家の手元にあったからです。この状態の良さは、楽器が一定の所有者の手元で保護されている期間が長いほど、保存状態が良くなることを示す証拠でもあります。

楽器は演奏されると摩耗していき、ダメージを受け、事故なども起こりえます。現在残っているほとんどの古い弦楽器は修復を施され、モダン仕様に変えられてきました。
ですから、こちらのヴァイオリンやオックスフォードにある1716年製ストラディヴァリウス『メシア』(アシュモリアン博物館所蔵)のように製作された当初の状態を保った楽器を見つけるのは、今後ますます難しくなっていくことでしょう」(メイヤーさん)

 

このストラディヴァリウスは、ブルース一家の人々が「この楽器はイギリス国内に留めておきたい」と考えて1928年に購入し、大切に保管していた楽器だといわれています。

しかし、2002年にはひとつの危機が訪れました。ブルース家の遺産相続の際、競売にかけられ、あわや海外のどこかに売り払われてしまいかねない状況に陥ったのです……。

幸いにも、イギリス政府の働きかけや団体・個人の運動によって、2005年にブルース家の相続税の代わりとして取得されたあと、同博物館に保管されることになりました。

このような経緯から、楽器の取り扱いにはイギリスの国務長官なども関わる手続きが必要なのだそうです。国家レベルのお宝ですね。

 


楽器の音を聴くチャンス

 

人類の資産ともいえるような最高レベルの楽器を保存し、次世代に文化として継承していくのは大切です。

その一方で、楽器の本来の役目にもとづいて、『楽器は演奏されるべきもの』という考えもあります。貴重な楽器の音を多くの人が聴けるような機会を設け、価値を共有することも重要です。

そういった流れから、近年では博物館の所有する楽器の音色を堪能するチャンスが少しずつ増えてきているようです。こちらの『ヴィオッティ・exブルース』も、2005年にコレクションに加わった際、その記念として、少しだけ演奏されたという記録が残っています。

「現在、ミュージアムは所蔵楽器の演奏について態度を変えつつあります。

例えば、ベルリン楽器博物館にある1台のストラディヴァリは、選ばれたソリストによって演奏されることがあります。パリの音楽博物館やイタリア・クレモナのヴァイオリン博物館でも、定期的にリサイタルが開かれていて、普段は展示されている最高級の楽器を聴くことができます。

すべての楽器の演奏を聴ければ素晴らしいだろうと思いますが、後世のために楽器を大切に保管し、演奏可能な状態を維持する必要がある。そこには、ある種のジレンマもありますね」(メイヤーさん)

 

(写真) 一枚板の杢が美しい『ヴィオッティ・exブルース』の裏板

(Photo) Royal Academy of Music

イタリアの小さな町で生まれ、神童として名を馳せ、ヨーロッパの各地を旅したヴィオッティ。彼が最後の場所として選んだのは、イギリス・ロンドンでした。


この楽器は、この上ないの美しさと良好なコンディションだけではなく、稀代の名ヴァイオリニストだったヴィオッティの気配をどこかに遺しながらミュージアムの来館者を出迎えてくれているからこそ、魅力的なのかもしれません。

 

●楽器の詳細データはこちら:

https://collections.ram.ac.uk/IMU/#/details/ecatalogue/6646
 

 

 

 

(映像)18世紀後半に書かれたと考えられるヴィオッティの協奏曲第11番では、技巧の高さだけではなくたっぷりとした豊かな響きが味わえる


 

後編の記事では、他に2つの至宝をご紹介します。お楽しみに!

Text : 安田真子(Mako Yasuda)
2016年よりオランダを拠点に活動する音楽ライター。市民オーケストラでチェロを弾いています。