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第19話 ~パガニーニ(1)~

“天性の音楽家”パガニーニの私生活や人柄などが、ごく親しく接していた人たちにさえ知られていなかったのは、とても驚くべき事である。

その事実は、私にとってもまた、幾百万の人々にとっても不可解かつ興昧ある事であろう。なぜなら彼の素晴らしい音楽は、彼自身の世代の知識をはるかに超越した、さらに我々の理解の域をも越えたものであったから…。

写真:"Paganini" by Delocrois, "les violons, Venetian instruments  Paintings and Drawings", 1995. Caompagnie Bernard Baissait.pageより一部引用




 彼がバイオリンの能力と美を探究した先駆者であった事は、疑いのない事実である。ところが、あらゆる階級の人々が、彼の人柄や生活形態について、何か少しでも発見したいと願い、いつも取り囲んでいたにもかかわらず彼の生涯は、少しも知られる事はなかった。

そして、その素暗らしい音楽を、一体どこで勉強し練習するのかも一部分が述べられるだけで、 真実は誰も知らないのであった。

私は残念ながら彼の演奏を聞いた事もなければ、会った事もなかった。しかし、何か手がかりが得られそうだと思う人に会うと、誰にでも彼についての情報を聞き出すチャンスを逃さなかった。

私は、特にビヨーム氏に期待した。というのは、パガニーニが彼の店に時々訪れた折に、進んで応対していたからであった。

しかしビヨーム氏からは、何も得ることは出来なかった。彼はパガニーニとデュオ出来る才能を持った彼の娘婿、アラール氏の所へ行って聞いてみろと言う以外には、私には何も教えてはくれなかった。

ところがアラール氏白身も、この巨匠に接触する機会が多かったにもかかわらず、パガニーニの人柄については、他の人々以上に私に語ることは出来なかった。

写真:Jean-Delphin_Alard,(1815-1888), Wikipedia Commons, PDold



この二人は、一緒に練習する事は決してなかった。というのは、パガニーニはステージに立って演奏を始めるまで、その曲の下読みすらしなかった。

この事は、アラール氏にとっては、とても信じ難い事であった。なぜこの様な事実を言えるかというと、アラール氏は、幾度もパガニーニの泊まっているホテルを訪ねたのだが、ステージを離れてから、彼がバイオリンを弾いているのを一度も聞いたことがなかったからであった。

 

しかし彼は、次の事実について、特に力を入れて話してくれた。

「パガニーニは、ソロであってもデュオであっても、他人の作品を演奏する時には、ほとんど人に感銘を与えなかった。なぜなら彼の音色はなかなか美しく、音質も完璧であったが、他の芸術家、例えばラフォンのような重厚さに欠けていたから。」と言い、そして「即ち他人の作品が、パガニーニ自身にとって、容易すぎて芸術性すら低かった事が原因ではないだろうか。」と付け加えた。




そこで私は、「もしそうだとすれば、なぜパガニーニはそのような曲を弾くのだろうか。」と尋ねると、彼はそれに答えて次のように説明した。彼の興業を契約した興業師たちは前述の事実を聞いてすぐに困った事に気付いた。

というのは、パリの人々はコンサート形式の器楽曲を聴くのに慣れていて、たまに巨匠のバイオリン独奏があるといっても、それは通常、オーケストラの伴奏付きであった。

 
無伴奏のバイオリン・ソロといったら、誰が弾いたとしても聴衆をひきつけられるものではなかった。そこでパガニーニを第一バイオリンにして、コンサート形式で演奏する事に話は決められた。


ところが、急速なヴィバァーチェの旋律にさしかかると、他の演奏家たちはパガニーニのスピードについて行く事が出来ない。ついにはそれ以後の共演を拒否する。というようなことで、曲は取り止めになってしまった。

そういった事情でアラールとのデュオが取り決められたのだが、この公演が終了するまで誰一人として不安の色を隠せなかった。というのもこの演奏会では、パガニーニの名声を高める要素がまったくないだろう事が明らかだったからである

写真:”Pariser Konzert Paganinis,03-04-1831”, J.B.Vuillanme, Stefan-Peter reiner,1998,15page




 
その後、パガニーニが、無伴奏のソロ演奏会を行なうという発表があった。しかしその時は、最初の演奏会から推して、楽しい演奏会になるとは誰一人として予想しなかったし、結果的に人場者もとても少なかった。

しかしパガニーニは、演奏会の最初の瞬間から、聴衆を呪文で縛ってしまうほどの魔力で魅了した。それに応えて聴衆は、彼の素晴らしい演奏に対して心からの賞賛で充分に人数の少なさをカバーしたのであった。

この演奏会によって、初めて最初の演奏会の間違いが聴衆に理解され、その後の演奏会は連日満員を続けたのであった。

スコットランドに住んでいる私の友人などは、彼の演奏がまだ終らないのに、子供のように泣きながらホールを出てしまうという精神状態だったらしい。この素暗らしい演奏家パガニーニが聴衆に与えた力は、そのようなものであったらしい。

 

写真:”Konzet paganinis Germalde von Gatti 1804”“J.B.Vuillanme”,Stefan-Peter reiner,1998,15page



ほとんど、以上が、アラール氏が私に話してくれた内容であった。その後しばらくして、ビヨーム氏は、「そういえば一度だけ、パガニーニの弓を修理した事があった。」と私に語った。

以前この事実を私に話してくれなかったのは、些細な事と彼が考えていたからだったが、その話をここに述べてみよう。


第20話 〜パガニーニ(2)〜へつづく。