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第18話 〜ビヨームの名声(3)〜

写真:Letterhead of Vuillaume, J.B.VUILLAUME His Lige and Work, Roger MILLANT, 1972, イラスト. 76より引用


ビヨーム氏は、私に夕食をどうかと誘ってくれたので、他に約束もなかったので一緒にする事にした。夕食時、彼は、私にまた”大鑑定家”と繰り返し言った。

私は、「その言葉は、私自身が持っている才能に対して過大評価すぎるので、もう言わないでほしい。私は、私に対して教える事を厭わない人になら、誰からでも喜んで教えを受けたいと思っている」と言った。それに対して彼は、「いや、それは謙遜し過ぎますよ。私と弟が、あのブラッセルのジャンセン氏のセロをアマティ派のイタリア製だと言ったのに、あなたがイギリス製だと言った事はよく知っているのですよ。そしてそれが、まさに正しい評価であったことも」と言った。

このようにして、私に対して名誉が与えられ、かつ全く忘れかけていた出来事によって、私自身の名声さえも作り出されたのであった。

私はビヨーム氏と知己となったが、やがて友情に実を結び沢山の議論に花を咲かせた。私は”楽器気違い”になってしまい、同じ心の持ち主と会う事を非常な喜びとしていた。



とりわけ我々が話し合ったのは、ビヨーム氏自身が作ったニスについでであった。それは、微妙極まるもので、微熱に当てただけでも容易にはげてしまい、ニスというよりペンキというのにふさわしいものであった。私はそれを火のすぐそばではなく、少しはなれた所に置いただけで褐色の紙のようにまくれ上がるのを見たことがあった。

時折、彼は特別に上質なニスを用いた。それは特殊な楽器にだけ使われていて、そのしなやかさといい、純粋さの点、色の点といいたいへん優れたものであった。彼のとっておきの、いつも使うものとは全然似つかぬもので、美しいP.ガルネリウス作のバイオリンで極上のものによく似ていた。

また、ブレシア派のJ.B.ルジェリ作のバイオリンにこれとよく似たニスを二、三見たことがあったが、それらには、裏板にペンで書いた模造の象眼すらもなかった。唯一の例外を除いて、私はビヨーム氏の家でこの特製のニスが塗られた楽器を見かけたことはなかった。

しかし、あるアマチュアの手には、この特製ニスの塗られた、法外な値段さえも受け入れた程のバイオリンが存在していたのであった。

この頃、私は彼から随分沢山のバイオリンを購入していたので、彼が諸外国からの注文で手一杯だったのは知った上で、なお、私はあのアマチュアのと同じバイオリンを作ってくれるよう再三頼んでみた。

彼は早速、承諾はしてくれたのだが、私が喜んで法外な金額を支払う程のものは、ついに私の手には入らなかった。彼はいつも、その様な特別な楽器の製作に成功する時は、多かれ少なかれ偶然的なものだと言っていた。

しかし、そのような事もあるかも知れないが、二種類のニスの質的相違点は、決して偶然的なものではなかった。私がこの点を問い詰めると、彼は自分と同じ位、いやそれ以上に相違のあるものを作った二、三人のイタリア人の作者を引き合いに出して言い逃れをしたのであった。この様な点で、決して納得したわけではなかったが、これ以上議論したくなかったので余り追求しなかった。




 ビヨーム氏を訪ねたある時、私は彼にパガニーニの所有しているガルネリウスのコピーを作ってもらえまいかと頼んだところ、早速、彼は承諾してくれた。それから二、三ヶ月して再び出かけて行った時、彼はそのコピーのラベルの下に”我が友、ダビット・ローリー氏に贈る”と書いて私に渡してくれたのである。

それは、文句なしに彼の傑作の一本であった。ところで、彼のバイオリンのコピーを論ずる場合、はっきり説明しておきたい事がある。彼がパガニーニのガルネリウスをコピーした話は有名である。即ち、この偉大な巨匠の死の直後、バイオリンはニースに送られ再びパリに返り、パガニーニの唯一の弟子であるシヴオリの手に入ったということである。しかし真実は、このバイオリンも、彼が私に作ってくれたものや、その他すべてのコピーと同様パガニーニのも含めて、現存の有名なガルネリ・デル・ジェスのコピーではないかということである。ビヨーム氏は、ただ単にガルネリウスの二、三の有名な特徴を加えるだけでなく、ガルネリウスもこの様に作るべきだったという事を示すかのように、彼自身の創意工夫をこらしバイオリンを複製した様であった。

写真:
"J.B.Vuillaume" Ein Bildband zum 200 Geburstag, 1998,24

Violin made by J.B.Vuillaume, Paris,1869,Guarneri model



例えば、ガルネリウスがその全盛期(1725〜1740)にかけて作ったほとんどすべてのバイオリンは、後期(1740〜1745)の作よりも小型であった。しかし、小型であっても音色では何ら遜色がなかった。もっとも、近代の製作者の手によって作られたコピーは、この点ではるかに見劣りするものである事は言うまでもない。

ビヨーム氏の意見では、これらの点をそのままコピーするという事は貴重な時間と大切な材料の浪費であるというのであった。ストラディバリウスのコピーにおいては、長さ14インチ、幅6インチ2分の1、4インチ2分の1、8インチ2分の1の黄金期の寸法に合わせる事によって、音の点において一番信頼出来る結果が得られた。この事実によって、ガルネリ型のコピーもこれと同じ型で作る事にビヨーム氏は決めたのであった。


第19話~パガニーニ(1)~へつづく