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Andrea Guarneri

Violin Maker  1623-1698
CremonaItaly

アンドレア・グァルネリはアマティ派とグァルネリ派の間を繋ぐ者であった。彼は1641年から1646年、及び1650年から1654年まで、ニコロ・アマティの工房にて見習いとして働いた。その後、彼は師匠の工房を離れ、現在我々が呼ぶところの「Casa Guarneri(グァルネリ工房)」を立ち上げた。彼の作品は師の伝統を強く継承するものではあったが、アマティスタイルのもつ均整のとれた優美さに比べ、やや素朴な印象を持っている。
 
アンドレアはグァルネリ一族の中で最も多作であったが、とくに晩年の作品は2人の息子、ジュゼッペ・フィリウス・アンドレアマントヴァのピエトロが製作を手伝うことで成り立っていた。1690年頃の作品群には、ジュゼッペ・グァルネリ・フィリウス・アンドレア(Filius Andrea”アンドレアの息子の意”)の手が入っていることが明らかに見て取れるものが多い。
 
彼の製作した小型のヴィオラは、現存するヴィオラの最高傑作と評価されているが、現存するのは僅か8台のみである。近年発見された1690年製の作品は、かの有名な1697年製「プリムローズ」と良く似ている。スクロールはアマティ派の製作者ジャコモ・ジェナーロによるもので、ボディは当時の典型的なグァルネリ一族のスタイルで製作されている。スクロール以外の大部分は息子ジュゼッペに委ねられたものであるとされている。
 
グァルネリ一族の製作家は、師匠の教えを無条件に受け入れるのではなく、各々の独自性を発展させ、 オリジナルのスタイルを築いた。この大胆な創造性が幾つかの優れた楽器を生み出し、グァルネリの素晴らしい伝統の基礎を築くことになったといえる。
写真:Viola made by GUARNERI.Andrea, Cremona1697 "Ex-Primrose"