The Reminiscences of a Fiddle Dealer by David Laurie #5
【ストラディバリとの出会い】-2
私は偶然にも二つのことを学ぶことができた。
一つは満員の音楽ホールと静かな私室という、二つの全く違う場所でクレモナの名器の音色を聞くことができたこと。二つ目はヴュタンの演奏を聞いたときの、あの美しい響き、独特の張りのある音色が自分で弾いた時にまったく出せなかったことである。もっとも、自分で理由付けをして慰めた。彼はバイオリンを弾くのが生活をかけた勉強と仕事であったのに対し、私ときたら、暇を見つけて練習をする程度のアマチュアだった。楽器を鳴らせるか鳴らせないかという違いがあってごく当然だったのだ。
この時、私がストラディバリを持つという夢はかなえられなかった。イーディさんは私のためにレベルに合った楽器を探し出してくれた。そして、
「君がクラークさんの所で夢中になったあのばかばかしい代物よりはるかに立派な楽器だよ。」
と言った。しかし私は彼の説には残念ながら同意出来なかった。それでも彼の求めてくれたバイオリンはそれなりに気に入ったし、親切な心遣いには大変感謝した。その後、長い間このバイオリンは私の元にあって、喜びを与えてくれた。
1867年、当時私は新しい仕事を手がけることになった。それは、海外に市場を開拓する仕事だったので、いろいろな国の大小の都市に出かけなければならなかった。その結果、英国に住んでいた頃とは比較にならぬほど、最高級の名器に接する機会を得ることになった。私は行く先々の都市に住む弦楽器製作家や業者を訪ね、たくさんの人たちと面識が出来るようになった。
とりわけ、N.F.ヴィヨームにはよく会った。彼は有名なJ.B.ヴィヨームの弟で、当時ブラッセルで職についていた。その職というのが、ブラッセルの国務大臣によって任命された同国の音楽院の御用バイオリン製作者というものであった。外国人の起用ということからして、彼の才能がいかに高い評価を受けていたかをうかがわせる。彼は中背で胸巾が広く、がっしりとした体つきの人で、ミルクール生まれの、れっきとしたフランス人であったが、どちらかというと、スコットランド低地方の人のような風采をしていた。彼は大の旅行好きで、ロンドンは二度行ったことががあると言った。ただ二度とも、ひどい船酔いに苦しんだので、イギリス海峡横断だけはごめんだが、ロンドンだけは是非また行きたいとしきりに言っていた。
(つづく)
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